「クスリ」なんかに頼るもんか(後編)
こんばんは〜。
今朝は何だか頭がぽわぽわしててふわふわ〜な感じで過ごしておりました。
もしやこれは誰か寝てる間に誰か薬を飲ませたのか…!?(違う)
というわけで、昨日投稿しました記事について結構反響がありまして、ちょっぴり嬉しかったです。
ブログをやって、こうやって見てくれてる人がいるんだなって思うと、続けていきたいなという気持ちがひしひしと湧いてきます。
改めて、読んでいただき本当にありがとうございます。
今朝はZIP!でも永野投手について取り上げられてたようです(私は見てませんでした。すみません…)。
まだまだ社会的理解が進んでいない病気なので、少しでも興味を持っていただき、そして「今の社会の中でこんなにも生きづらい病気なんだ」と理解していただけると嬉しいです。
さて、昨日の続きを書こうと思います。
昨日の記事見ていない方はこちらからご覧下さい。
私を襲った心の病気(2018.9~現在)
1.ただ「今」だけを見つめていたい。
8月に会社を辞め、地獄のような日々からの解放に浸る間もなく、私は次のお仕事を探しました。
選んだのは、大学生のとき、約2年間お世話になったサービス業の仕事でした。この仕事の選んだ理由として、学生時代、そのバイト先での楽しい思い出がいっぱいあって、またこの職場で沢山のお客さんと関わりながら働きたいという思いがあって、再雇用という形でアルバイト生活が始まりました。
そのときはただ、今のことしか考えられなくて、将来のこととか「そのうち何とかなる」っていう甘い考えで当時はそう思ってました。今考えると不安定な収入で、安い給料でなぜその仕事を今後ずっとやっていきたいと思ったのか、ただ「仕事しなきゃ」っていう思いが焦ってしまってたんでしょうね。
この仕事は屋外の仕事で一日に約100人ぐらいのお客様と接しなければなりません。また、平日週5日で、平均勤務時間は7時間ほど。しかし、イベントが始まるとその分勤務時間も長くなるので、まさにメンタルと体力がなければやっていけない仕事でした。
やっぱり一度経験している身なので、大丈夫、なんとかなるだろうと思っていました。
今回は学生の時とは違う職種になったのですが、基本的な接客マニュアルとかも結構体に染み込んでいた部分もあったので、接客対応は難なくこなせました。その後に一本立ちして、仕事のラインに本格的につき、失敗しながらも、同期や先輩方に支えられて、以前いた会社より充実した日々を過ごしていました。
そんな中、10月に父の親戚たちが私のもとへ遊びにやってきました。2人のおばといとこのお姉さんとお兄さん。私の現状を話したら2人のおばさんからこう言われました。
「なんで今アルバイト生活してるのよ!それで一生食ってくつもり?馬鹿じゃないの!」By結構がみがみ思ったことを言う下の叔母さん
「早く安定したお仕事に就いたほうがいいわよ。えりちゃんまだ若いんだし、絶対見つかるわよ。」By天然なのか計算なのかわからない発言をする上の叔母さん
結構強く言われちゃったもんなので、私は思わず泣いてしまいました。
私は心の中で「そんなの言われなくてもわかってる、今はただ今しか見つめることしかできないの!目標なんかわからないし、その先のことなんて未だに考えられないよ」ってそのとき思っていました。
それから、11月になってイベントが始まり、勤務時間が長くなりました。
朝の9時半から夜の8時まで。稼げますが、体力的には結構きつい部分もありました。朝6時
に起きて、通勤ラッシュにもまれ、勤務につき、帰るころには夜の10時半を回っていて、家に帰っても何もすることができない日々が続くようになりました。
そんな日々が続くと、また目に見えない「アイツ」が私の体をむしばんでいくようになったのです。そう、またあの厄介な適応障害たちがやってきたのです。
どんな症状があったかというと、
- 朝、起きてすぐごはんが食べれない
- 通勤途中で急な腹痛に襲われる
- 人が怖くなって、接客中でも「怖い」と思ってしまう
- いつも誰かが私のことを見ていると考えてしまう
- 「私はいつもミスばっかだから使えない人間だと思われてる」って勝手に思い込む
- 次、どうすればいいのかわからなくなってパニックになる
本当に前と全く同じ症状が出てきて、「またか…」と思いました。しかし、私は周りに迷惑をかけたくなかったので親や職場の人にはそのことを話さずに、自分の中にしまいこんでいました。
その後、私はストレス性胃腸炎にかかってしまい、1週間ダウンしてしまいます。
それでも、なかなか体調が思わしくない日が続き、また2週間後に胃腸炎にかかってしまいました。それに加え、肩や腰、足までもが悲鳴を上げていました。
「まだ全然治ってないじゃん。私の病気。やっぱりは私なんかに仕事なんかできないよ。」
そうもやもやした気持ちを持っていた12月初めのこと。
明日もまた仕事始まっちゃうよ~いやだな~と鬱になってた日曜の夜、ある人物からLINEが来ました。
2.友人からの電話
それは一緒に4月入社した同期の女の子からでした。
「相談したいことがあるんだけど電話してもいい?」
私は「いいよ」と答えて、彼女からの着信を待ちました。
電話に出て、お互いの近況を簡単に話し合い、早速彼女から私に電話した理由を話し始めました。
彼女はその夜、自分の店舗の忘年会に出席し、その帰り道でした。その子が配属されている店舗は部長がいて、その子のほかにもう一人の同期の女の子がいました。そのもう一人の子はとても仕事ができる子で店長や部長、他の先輩までかわいがられている存在でした。同期はいつもその子に比べられていて、いつも彼女に対して劣等感を感じながら働いていたのです。そしてある日、ついにその同期の子は先輩の前で泣いてしまいます。その子は今は仕事に対してやる気が起きなくなり、今はただ仕事を淡々とこなしているだけで、ワクワクも楽しみもなくして、これからどの方向にいけばいいのかわからなくなっていたのです。
そして、彼女は私にこう聞きました。
「えりちゃんは、今の仕事楽しい?今の仕事でよかったって思ってるの?」
私はこう答えました。
「うん!楽しいよ!元々好きな仕事だったし、大変だけど楽しいよ!」
続けて、私は彼女に対してできる限りのアドバイスをしてあげました。そして1時間ほど話してから、また会う約束をして電話を切りました。
そして、その翌朝、電車に乗ってから私はなんだかもやもやした気持ちになっていました。
「私ってあんなことを言ったけど、実際どうなんだろう?心から今の仕事が楽しいのかな。」
その日からずっと、そんなことを考えてて、私はこのままじゃいけないと危機感を感じました。
叔母さんたちの言う通り、非正規のまま、将来のことも考えずになあなあとアルバイトをしているのはさすがにまずいと思い、ハローワークに行って相談してもらいました。
そこで初めて職業訓練の存在を知ったのです。
職業訓練には様々なコースがあって、私が受講したいと思ったのがパソコン初心者でも実務レベルまでパソコンが使いこなせるようになるコースです。それを受講したいと思った理由は、正社員になるにはパソコンの資格を持っていたほうが有利と考えたことと、もう一つは社会人の心構えを学び、自己分析をしっかりできるカリキュラムが組まれていたからです。
ここでもう一度自分を見つめなおしながら、パソコンのスキルを磨きたいと強く思いました。
そしてアルバイトは12月いっぱいで辞めることになり、年末に訓練校の面接を受けました。もし受からなくても、自分で転職活動を進めようと考えていたので、ダメ元で受けました。
年が明けて一週間たったある日、自宅に薄い茶封筒が届いていました。
訓練校からでした。薄い茶封筒だったんで「ああ、やっぱだめだよな」と思いながら中身を見たら
「1月18日にお会いできることを楽しみにしております。」
まさかの合格。びっくりしました。
面接も全然だめだったのになぜ私を入校させようと思ったのか未だに疑問です。(笑)
3.職業訓練を受けている今、思うこと。
職業訓練を受講しているのは私含めて13人。私みたいに若い人もいれば、主婦の方、ブランクがあるサラリーマンの方、そして私の親より上の高齢の方まで幅広い年代の方が集まって、一緒に勉強しています。学生時代とは一味違った感じなので、学生の時では気づかなかったことに毎回気づかされています。
パソコンの操作について学ぶのがもちろんメインですが、何よりも自分自身の成長の種を毎日見つけているような気がするのです。
訓練が始まってから1~2週間ぐらい、自己分析や自己理解の時間がメインだったのですが、そのとき自分が思ったことについて、手帳にメモをしてありました。
- 自分は何のために働くのか何も考えずに就職してたんだなと思った。
- 学生の時と現在の就職活動は違う(学生の時:みんな同じスタートライン、今:世代違うからいろんな価値観共有している)
- 様々な年齢の人と関わって「自分はこんな人だったのか」など新たな発見がいっぱい!
毎日学ぶことがいっぱいあって、いろんなことに気づかされて、授業では教えてくれない社会で生きていく上で必要な心構えを周りの人の存在によって教えてくれている気がするんです。
小さい教室にぎゅっと社会を生きていくヒントが詰まったまるで秘密基地みたいな空間で授業を受けられる幸せを感じ反面、学生時代、もっと勉強すればよかったなと思うときもありました。「もし、こんなことについて早く知っていれば社会で困らなかったのになぁ」と思うことも多々あります。
でも、今吸収できることは全部吸収して、自分のものにできるように日々勉強しています。
そして、この訓練を通して、本当にやりたい仕事を見つけることができました。
その仕事とは、ライターです。
ゆくゆくは小説家になって、大学院に入って私のゼミの先生のような大学教授になって若い学生たちと社会について考えていきたいと心に誓ったのです。
現在は、その目標に向かって自分なりに勉強しているところです。もちろんこのブログも将来の夢のために始めました。
まずはライターや編集の仕事に就職できるようにすること。もしその業界に就くことができたら、スキルを磨きながらお金を貯めて、そのお金で大学院に行くことが目標です。その間に小説書いて、、、というのが理想です。
自分の将来の夢のことを考えていると心の病気のことなんていつの間にか頭の中から消えていました。
最後に…
今、いろんなことを学ぶことができてとっても楽しい日々を過ごさせていただいています。もし、自分の就きたい職業に就いて、お金があったらどれだけ幸せなことなんだろうと日々妄想にふけっております。
おかげさまで前の症状はめっきり出なくなりました。いつも楽しいことを想像したり、好きなことに熱中したり。
前は生きるのが辛くて、辛い涙しか流せなかったけれど、今は綺麗なものを見て、心が動かされた瞬間に涙が出るようになって、心の豊かさは以前より充実しています。
今、心の病気を患っている人やなかなか思うようにいかない人がいたら、まずは自分を見つめてください。自分の今の気持ちを文字にすれば、気持ちの整理がつきます。
そして何よりも好きなことに情熱を捧げること!趣味は心の拠り所です。
ごはんをいっぱい食べたり、本を読んだり、お芝居見たり、野球みて興奮したり!
その人それぞれの心のビタミンを取り続けていれば、いつの間にか病気のことなんか忘れてしまいますよ。
あとは、相談できる人に相談したり、電話相談を利用することも一つの手です。
辛いことは時間が解決してくれます。自分が張り切って頑張らなくても時間がたてば何とかしてくれます。
もし、辛くて前に進むことができないっていう方がいたら、参考にしていただけると幸いです。
それに職選びはまず、自分ができることからまず考えることがいいかなと思います。ハローワークの適職診断みたいなパソコンもあるので、使ってみるといいと思います。私も、それを使って自分のやりたい仕事を見つけることができました。
2回に渡って私の心の病気について書いてきましたが、この記事を読んで、心の病気について少しでも興味を持ってくれたら本当にうれしいです。まだまだ社会の理解が進んでいないので、そういう病気で苦しんでいる人がいることを是非知ってほしいと思います。
そして、永野投手も治療を続けながら試合に出るとのことなので、同じ心の病気を患っている者として永野投手を応援していきたいと思います。
昨日、今日と長ったらしくて拙い記事を見ていただき本当にありがとうございました。
それでは、失礼します。